コラム

「パクリ」やら「かぶり」やら その現状(2013.5.5 up)


昨年出版された、とある一般向けマジック入門書の中で、私が以前マジシャン向けの小冊子やビデオで発表した作品が流用されておりました。
まあ、偶然にもアイデアがかぶるという可能性はありますが… そもそも道具立てとしては決して現代風ではなく(私が発表したのは10年以上も前)、この本の為に著者がわざわざ考案した作品とは考えにくい、また私のビデオ自体が当時の日本のマジック業界の中ではかなりの本数を売り上げたソフトであり、この著者がそれをまったく知らずにゼロから考え出したとも想像しにくいのが現実。
仮に直接小冊子を読んだりビデオを見たりしていなくても、誰かが演じたり、解説しているのを見ている可能性は非常に大きい。
ただ悲しいかなメインのアイデア自体がまるかぶりであるとはいえ、細かい手順及び、解説文や図(写真)自体はさすがに書きなおされているわけで、書籍の世界でいう過度な引用とか盗作には当たらないことも予想されるため、実際に法的手段に出るのは難しいであろうことは十分に予想されます。

しかし著者はプロのマジシャンらしく、年齢的にはどう考えても後輩。しかもまったく接点がないわけでもない(なんと顔見知りのマジシャンの家族… これがまた微妙にいや~なところ)ということもあり、ダメ元で出版社に対して事実確認を求めてみたのです。

先方と今後の付き合い方を考える上で、何よりまずはひとりの表現者として、「無断借用やパクリに対するプライドはないの?」という点を確認したかったですし、仮にそれが 「偶然のかぶり」 だったとしても、マジシャンとしてはあきらかにリサーチ不足であったことを認めた上で、形の上だけでも謝罪くらいは欲しいと思いましたからね。
※しかもこの本、あとがきやプロフィールには「マジック界を健全にするために」みたいなニュアンスのことも書いてありましたし (゜_゜)

散々待たされた上での出版社からのお返事は 「著者が独自に考えたものなのでまったく問題はありません」 とのこと。
…はいはい。所詮そのレベルのマジシャン、いや人間だったということね。
顔見知りだったマジシャンに罪はないけど、正直疎遠にはなっちゃうよな~と。
まあ世の中実際はそんなものなのですけど… これって結構悲しいことですよね。

ただ正直なところ、この程度の話は本当に多く、大抵のことにはもう驚かなくなっていたのでありますが… つい先日知ってしまった、今年刊行された露骨すぎるパクリ本、これにはさすがにびっくりしました。
私が昨年末に書き下ろしたばかりの新刊から、その内容の三分の一、計15作品の内の5つまでが、ガッツリと流用されているのです。 単にトリックのアイデアにとどまらず、プロット、ハンドリング、セリフ、はてはアドバイスに至るまでかなり詳細に… その上でしっかりと 「参考文献」 として私の本のタイトルが記載されているのです。
「私どもはこれらの書籍から全部盗みましたよ!参考文献の中にも書いてあるでしょ!」ってね。 …いやはや、これはさすがに悪質です。
実用書に関する裁判では、この手の無断引用に関する先例がまだ存在しないかと思われるのですが、さすがにここまで来ると、きちんと裁判すべきだし、したら勝てるのではないかと思った次第。 ※これは現在関係者との協議中なので、今回はひとまず置いときます。


さてここまでは前置きでして ^^; ここから先に述べることは、このような一般書籍の出版業界と比べれば、はるかに小さなマジック業界内での話です。
無論小さいとはいっても、そこでも生活している私にとってはリアルな現実世界。なるべく波風を立てず、この狭い世界の中くらい、ある程度平和に過ごそうと思っているのであれば、「最低限のルールは守り、スジくらいは通しましょうよ」 そのくらいは言ってもいいでしょ? で、そういうレベルのお話なのですよ。

先日、私なんかよりはよほどメディアに露出しているあるマジシャンが、あるマジックグッズを販売していることを知りました。その商品名の頭にはそのマジシャンの名前が施され、いかにも当人のオリジナルですよと言わんばかりの形です。
でもね、商品説明や動画を見る限り、どう見ても私が以前発表したトリックにそっくりすぎる訳です。
私のトリック自体は、90年以降、20年以上に渡って演じ続けているお気に入りなのですが、それこそ無数に考え出したそのバージョンのひとつを95年発売のビデオ作品集の中で発表し、2000年にはそのバリエーションを、新たなビデオ作品集(後にDVD化)で発表、さらに2007年には2000年版のトリックを書籍(DVD付の作品集)に収録して刊行しています。

で、そのマジシャンの商品ですが、おそらく個人でひっそりと販売している分には私も気がつかなかったと思うのですが、国内最大と思われる専門店で堂々と宣伝されていた為、ネットにかなり疎い私でもその存在に気がついてしまった訳です。
幸いにもそこの店主とは知り合いであったので、上記の事情を説明したところ、即座に販売を取りやめてもらうことができまして、件の商品を制作している当人からも(こちらから事情説明を求める連絡をしたので)その後で謝罪らしき連絡はありました。
が、結局のところ肝心な部分に対する経緯の詳細な説明はなかった為、その真相はいまだに分かりません。
※本来謝罪というものは、その事情や経緯を明確に説明する責任があるものだと思っておりましたが、これが普通に出来る人って少ないですよね。

ご本人以外の方から得た情報を含めて、ものすごく好意的に解釈致しますと、この方はおそらく2000年、2007年のバージョンは知っていたものの、今回販売したネタとあまりにもそっくりな95年版を知らず、自分なりに変更を加えたところ、知らなかった95年版と同じものになってしまったと推測されます。

あくまでも好意的にとらえればという話ですけど。

まあこのような過程自体は、創作に関わる人間であれば、誰でも “しょっちゅう” 体験することであり、よくある話にしかすぎません。
「あ、うまく変えたつもりが結局元のバージョンに戻ってるよ!」 とか 「そりゃあ、そのくらいのバリエーションは原案者だって考えてるよな~」 とか。
そんなことはクリエイティブな人間にとって、極々当たり前にあることだからこそ、表に出す作品に関しては慎重に行動するのです。

今回の件で “問題あり” なのは、その後の彼の行動です。昨日今日マジックを始めた人間ではあるまいし、元ネタありきを自覚した上で(多少のアレンジを加えたとはいえ)、元ネタをきちんと調べることもせず、クレジットも許可も一切なしに、堂々とそれを商品化(しかも単品)し、販売できるというその神経が理解できません。
※複数の作品を収録したレクチャーノートや書籍、DVDなどの映像作品集の一部に、元ネタや考案者をクレジットの上で取り上げるのであれば良いのですが。

直接本人から習ったとか、ビデオや本を買って覚えたものに関しては、個人で演じる分には何の問題もありません。(それでもお互いを知った中であれば、テレビなどの映像媒体で演じる際には確認の連絡が入ります)
しかしながらそれを如何にも自分のトリックであるかのように解説したり、さらには販売しようとするのは倫理的に問題ありでしょう。何らかの変更点があるとしても、その場合はきちんとしたリサーチをして、様々なことをクリアにしておかなければ、それは 「かぶり」 どころか、正に 「パクリ」 と言われても仕方がありません。

念のため申し上げておきますが、世の中にある似たトリックについて、完璧なリサーチをすることは不可能です。

とはいえ、出来ることくらいはきちんとしておかないとねえ… 現在では私のような超アナログ人間や、まったくマジックを知らない方でも、簡単にネット検索くらいはできるのですから。
例えば冒頭で取り上げた、昨年刊行の一般書に使われたトリックの場合、実際にその先例となるトリックは少なく、使う道具とマジックというキーワードを入れたら、真っ先に私のネタが引っかかってくるのです。昨年の件に関して言えば、たかだかその程度のことさえもやらずに済まそう、誤魔化そうとする感覚自体が表現者としてはアウトです。

私が後輩や生徒によく言うのは、何かを発表する場合は、そのくらいの気を十分に使った上で、仮に独自にゼロから考え出したつもりのものでも「かぶり」の問題は出てくるのだから、なるべく正直にその考案時期や経緯を説明した上で、新たな情報があればなるべくその都度訂正して行くように配慮すべきだし、ましてやそれが同年代に生きる現役のマジシャンの発表していたものとかぶっていたのであれば、自分の勉強不足を素直に報告し、詫びるべきだと。

さて繰り返しになりますが、話を問題の商品に戻します。結局この件に関してはきっちりと元ネタがあり、本人にもその自覚はある上に、このマジシャンが参考にしたと考えられる2000年版のビデオには、オリジナル版や95年版との違いの説明までがしっかりとされております。それは2007年の書籍においても、その経緯は簡潔に説明されているのです。

つまり、元ネタがはっきりとしている上で、それを販売しようとしているにもかかわらず、その出典たるビデオや本さえもきちんと調べていない(おそらく入手さえしていない)ということがはっきりと分かるのです。

これはもうあきらかな手抜きです。

私ども(ごく普通のお付き合いのあるまっとうな表現者たち)は、仮に自らがゼロから考案した作品であっても、専門誌になどに発表する際はもちろんのこと、ひとつの商品として表に出す際にはかなりの時間と手間をかけて前例がないかをリサーチします。
その結果、まったく同じものがあることが判明すれば、その企画は当然ボツとなりますし、似ている部分があったとしても、どこかに大きな違いがあきらかにあれば、その点をきっちりとクレジットした上で、場合によっては原案者と話し合い、合意の上で初めて表に出すこともあります。

また当然のことながら、発表したいと思うネタ自体に、元になる作品やきっかけとなる作品があれば、それが本であれ、雑誌であれ、ビデオであれ、入手できるものは入手し、その違いを確認する作業を必ず行う訳で、これは極めて当たり前のことであり、基本的なことなのです。
※その上で発表する場合は、入れるべきクレジットや歴史的背景に触れ、元の作品からの流用や異なる部分をなるべく明確に示すのは最低限のエチケットだと考えます。

何度でも繰り返しますが、こういった感覚が一切ないタイプの人間は(残念ながらその数も多いのですが)、私どもからすると、少なくとも表現者として、また創作にたずさわる者としては、あまりにも低レベルであるし、お粗末であると言わざるを得ません。

もしほんの少しでも謝罪の意識があるのであれば、少しくらいは心を入れ替えて、今後は十分な注意をしてほしいものですが… 
この手のモラルやエチケットに関する感覚って、突き詰めると、単にそれを “持っているか” “持っていないか” だけ。

そもそも “直す気がない” のであれば、話すだけ無駄なのですよねえ… なんだかなあ

「ワイルド・ワイフ」という作品の難しさ (2013.4.11 up)


先輩マジシャンであり、イラストレーターでもあるカズ・カタヤマさんに書いて(描いて)もらった 「ゆうきとものクロースアップマジック」(東京堂出版刊 2007) という本があります。

私としては、せっかく個人作品集を書いていただけるのであれば、その時点でのベストと呼べるもの… つまり少なくとも最初の形(ある程度の手順構成が出来た段階)から5年程度は熟成期間(実践及び修正する時間)を置き、その完成度にある程度の磨きをかけた作品だけをセレクトしようと考えましたが…

どうしても未発表のもの、何か新しいものが欲しいという要望もあり、現実には熟成度がせいぜい1~3年程度にしか満たない作品も数点収録されています。

「ワイルド・ワイフ」 はそのような作品の1つでありましたが、現在でも重要なレパートリーのひとつであり、2013年に至ってもセットアップやハンドリング、テーマやセリフなどに関する大幅な変更はなく、今にして思えばかなり(バランス的かつ実践的)完成度の高い作品であったと自負しています。

が、しかし、作品自体の完成度と、演じる際にやさしいか否か?という問題は、当たり前のことですがまったくもって比例しません。

これはもうひとつの少々込み入った作品 「シカゴ・クローザー」 にも言えることなのですが、このようなある意味複雑なテーマを持つ作品では、優れた技法やハンドリングの妙だけでは決して達成できない壁が確実に存在します。

両作品ともに観客にストレスを与えることなく、方法論が内包する論理的弱点を悟られることなく、理想とする現象のみを伝えきるためには、ほんのわずかな動きの違いや、セリフの前後、タイミングが命取りとなる、かなりハードルの高いトリックなのです。

おそらく私が一般の観客に演じているところを生でご覧いただくと、技法やハンドリングだけにしか興味のない奇術家は 「私にもあれくらいの構成は出来そうだな」 そして 「あのくらいの技法的難易度であればレパートリーになるかな」 そう思うかもしれません。しかし残念ながら、現実世界ではなかなかそうもいかないのです。

「ワイルド・ワイフ」 では複数の現象が積み重なっていますから、少なくとも何故か4枚あるように見えた自分のセレクトカードが、いつのまにか全てクイーンへと変化すれば、それはある程度の反応はもらえることでしょう。

しかしこのトリックの問題はその後なのです。観客は自分の選んだカードが消えてしまったことを理解し、徐々にまだ確認していない“最初の1枚の存在”に思い至るわけですが、残念なことに、演者はそのカードをダイレクトに示すことはできません。

この作品の場合は、スイッチのため“何故か一旦”クイーンの間に挟む必要があるわけですが、この部分に疑問を持たせるような瞬間を作ってはいけないのです。

最終的な観客のイメージとして、そのカードを“そのまま”観客自身がめくったかのように思わせたいのです。

この最も重要なスイッチの瞬間のためのお膳立てと、その後に続くフォロー(ミスディレクション)の仕方こそがこの作品後半の要であり、演技的に最も難しい部分です。

この部分における段取りや流れ、タイミングを少しでも間違えれば、せっかくここまで積み上げてきた美しいイリュージョンは、無残にも崩壊してしまうのです。

何年か前に、私が開催しているワークショップでこの作品を演じた方がおり、技術的にはかなりお上手であったものの、やはり後半部分での問題がはっきりと浮き彫りとなっていることを確認し、あらためてこの作品が難しい演目なのだと感じたものです。

最近ではネット上で4,5人の方の動画を見ました。そもそもこのトリックが動画向きであるとは到底思えないのですが、少なくとも本に書かれていることをそのまま再現してくれていれば、ある程度のトリックには見えるはずなのですが… 恐るべきことに誰ひとりとして肝心な部分を適切に演じている方はおりませんでした。

実際のところ、後半部分におけるハードルはおろか、最初に出しておくカード1枚を、この段階で堂々と 「予言」 と称してしまう人、さらには選ばれたカードを最初に演者自身が見てしまい、それにもかかわらず、そのあとで色、マーク、数字の部分を当てようとしている人まで…

真っ当な大人が見たら、この人はいったい何をしたいのか、頭の中がきっと 「?」 でいっぱいになってしまうに違いありません。

使用されている技法やハンドリング自体も、みなさんかなり自由にアレンジ?しているのですが、変更することで何のメリットも生じていないどころか、まったく無意味な動作が圧倒的に増えてしまっているのです。

あまりにもひどいので、もしかしたら本の中ではきちんと解説されていなかったのではないかと思い、あらためて内容を確認したほどですが、無論そこはしっかりと書いてありました。(^_^;)

さすがに全ての動作の意味まではいちいち書かれてはいませんが、演者がやるべきことに関してはすべてしっかりとした説明がありますし、最も重要な部分に関してはその意味もきちんと解説してあります。

つまり私の見た動画のみなさんは、その全員が本をきちんと読んでいないか、読んだけれども理解できなかったか、忘れてしまったか、そもそも本さえも読まず、誰かの演技や動画をみて真似してみただけか… きっとそんなところなのでしょう。

マジックを本当に楽しみ、適切な形で騙される為には、ある程度の一般的、社会的常識が必要です。それらによってある種の思い込みや先入観が生じるわけで、小さな子供に通じるマジックが限られてしまうのはそのためです。とはいえ中学生レベルの教養と知性を持って冷静に見ることさえできれば、上記レベルの動画がいかに多くの矛盾や問題点を露呈するものであって、それを公にしたり、それを互いに褒めたたえたりすることが、いかに“はずかしい”ものであるかが理解できないはずはないと思うのですが…

もしかすると、私の見たどの人もが一切顔を出さず、匿名的であるのは、暗にそれを自覚しているからなのでしょうか?

いずれにしましても、本の中には必要な情報がすべて含まれていますので、すでに演じている方、もしくはこれから演じてみようと思っている方は、是非ともまずは“解説通りに”体と口を動かしてみてください。動きやセリフにはすべて“そのようにすべき”理由があります。何かを変更する際にはそれなりの論理的理由が必要であることを理解すべきなのです。

それらを理解した上で、演技をより良いものとする為の変更、すなわち改良であればそれは大いに望むところです。

しかし瞬間芸ともいえるような単発の現象はともかく、 「ワイルド・ワイフ」 のような複数の現象が綿密に組み合わせられた作品や、少々理不尽な現象、例えばアレックス・エルムズレイの 「ビトウィーン・ユア・パーム」 などにおいては、その目的はもちろんのこと、それらを達成する為に張り巡らされた作者の意図を明確に理解しないうちに勝手な変更を加えると、本来の“狙いそのもの”が破たんしてしまう場合が多いのです。

技法そのものだけをどれほど練習しようとも、それだけで人にマジックを見せることは不可能です。どのようなトリックでも、そのテーマやコンセプトを理解し、それを明確に伝えるための様々なテクニックを磨き、その段階でのスキルレベルに合わせてうまく構成しなくてはなりません。

適当な映像を見て単にモノマネするだけではマズイのです。ダメな映像をモノマネするのは最悪ですが、仮に名人のモノマネをかなりうまくしたところで、所詮あなた自身ではないのです。

単に見た目をマネするのではなく、名人、上手といわれる方の本質を理解するよう努め、その上でマネすべきところをまね、自分の血肉とするのです。

映像そのものがダメだとは思いませんが、やはり本質の理解と言う部分においては文章の方に軍配があがるといって良いような気がします。

幸いなことに私のように英語はまったくだめという方でも、ことクロースアップマジックにおいては、現在では日本語の良書がたくさんあります。ステージマジックであれば数が圧倒的に少なくなる分、それらを探すことも容易です。

※カズ・カタヤマさんの書かれたステージマジック3部作は人前で演じる方にとっては必読書と言えるでしょう。

いずれ年を重ねれば、どれほど本が好きでも老眼により、読むこと自体が億劫になってきます。若い方は今のうちに是非しっかりと本から作者の意図を読み取る訓練をしておくべきだと思うのです。

    

厚川昌男(泡坂妻夫)さん(2013.1.4up)

※2009年2月4日のブログより

昨夜めずらしく酔っていないW氏からの電話に驚いたのですが、その内容にはもっと驚かされました。我々マジシャンにとっては奇術家、厚川昌男として知られ、一般の方にとっては、直木賞作家であり、本格ミステリー作家として知られる泡坂妻夫さんの訃報でした。

たくさんの軽妙で洒落たエッセイを残されていますが、実際にお会いすると、そういった文章から垣間見られるお人柄そのままの、実に気持ちの良い方でした。

2004年に氏の名前の施された賞をいただけたことは、私にとって本当にうれしく、ラッキーなことでしたが、そのあとは残念ながらお会いする機会がありませんでした。
今年40を迎える今だからこそ、お聞きしたい事や、お話してみたいことがたくさんあっただけに、本当に残念です。
先日お亡くなりになられた、福田繁雄さんとほぼ同世代、75歳での永眠でした。
私たちファンは、わずかひと月の間に、それぞれのジャンルに巨大な足跡を残した、偉大なトリックメーカーを、立て続けに二人もなくしたことになります。
告別式は7日に池袋で行われるそうです。心よりご冥福をお祈りいたします。

もう少し落ち着いたら、印象深いエピソードなどもご紹介していこうかと思います。

整理好き(2013.1.4up)

※2009年2月9日のブログより

先月、駒込の会の打ち上げで、N君からあるトリックについて質問されました。

「たぶん、ゆうきさんに教えてもらったような気がするのですが…」
そのときはまったく思いだせず、
「ぜんぜん記憶がないけど、よくできてるねえ… 僕が教えたの?」
「いや、まあ、そういわれると自信がないんですけど…」
そういった会話があったのですが、さきほど次回のライブのネタをチェックしている際に
「そうだ厚川先生の作品を何点か演じてみよう!」
そう思い立ち、すでに自分のハンドリングになってしまって、忘れているオリジナル部分の確認のため、『カードの島』(マジックランド刊)を調べていました。
そしたら…
なんとそのトリックがありましたよ。(^_^.)

36ページの 『整理好き』なのでありました。

そういえば以前 『奇術研究』 かなにかで読んだ記憶もちらほら… 上記の本は2001年刊行ですし(一昨年、東京堂出版からでた本にも収録されているはず)、N君に見せたことがあったとしてもおかしくはありません。
たまたまこのようなタイミングでのライブ予定がなければ、おそらく、しばらくの間は気がつかなかったことでしょう。

私は本を通して高木重朗先生から多くのマジックを学びましたが、氏は残念なことに早く他界され、実際にお会いする機会はほんの数えるほどしかありませんでした。また、それはまだ私が高校生のときでした。 厚川先生のマジックも、その多くは本から学ばせてもらったのですが、私が東京に出てきてから、あの世代(昭和ひとけた生まれ)の奇術家の方で、こちらを奇術家として認識してくれたうえでお話をする機会があったのは、厚川さんだけであったかもしれません。

こういった些細な出来事が起こるたびに、氏がほろ酔い加減で、いつでもにこにこしながら奇術を演じてくれたことを思い出すのでしょう。

演技、もしくはその前のこと(2013.1.1up)

※2010年6月16日のブログより

少し前、学生15人ほどを相手に 『演じる』 ことをメインにしたワークショップのようなものをしてきました。

まがりなりにも一般の方の前でなにかを演じようとするならば、見てくれている相手と、最低限のコミュニケーションがとれなくてはいけません。
まずは挨拶でしょうし、自己紹介でしょうし、何よりもその場の空気を読まなくてはならない。
マジックを見せようとしているならばその意思を伝え、了解を得て、何か不思議なことが起こるまでの過程を分かりやすく説明しつつ演技を進行させ、予定していた反応を相手から引き出したうえで、それらをしっかりと受け止め、その場の空気をプラスにしたうえで共有する。さらには、相手に見えていない部分で、かなり精神的にキツイ仕事を、ぬかりなく、きっちりと進めていかなくてはならない。

これ、実は想像する以上に難しい。
そして、多くの演者が想像する以上に、間違いなく出来てはいない。
こればかりは技法の練習や手順の練習をやみくもにしているだけではまったく意味がないのです。

この事実を自覚する、意識することが最初の一歩なんですが、言葉と現実は… そりゃあ、もう、いやんなるくらいギャップがあるものです。
現在第3期目が進行している 「フォーサイトマジックスクール」 では、プロの方も受講されておりますが、半年のプログラムで、この現実をしっかりと認識し、受け止めることを一番の目標としています。

それくらい 『現実は難しい』 のです。

その現実がある程度理解できれば、対処の仕方はいくらでもあります。まずは演目を短く、出来る技法、覚えられる手順、自分に合ったセリフ、シンプルな構成にする。ある程度のプランができたら、まずは裏の仕事なしで、それ以外の部分、つまり本来観客から見えていることだけを実際にリハーサルしてみれば良い。

これって、当たり前のことなのに、実際には誰もやってはいない。
おかしいとは思いませんか?

これはなにも今回の学生に限ったことではないのですが、とにかくあらゆることが無謀過ぎ。
マジックということで、あえて一つ言えば、ネタのセレクションが無茶すぎる方がほとんど(゜o゜)
生まれて初めての運動会に参加する幼児が、トライアスロンには参加しないでしょう。
ま、現実にそんな幼稚園はないでしょうし、実際の競技では年齢制限があるので参加資格自体ないわけですが…。
マジックの場合それがないがために、そんなあり得ないはずの現場を目にすることがある(゜゜)
まあ、命に別条はないからね。
しかし、あり得ないマジック の、意味が根本的に違う。 ^^;
逆にここの加減が分かっている人の演技は、余裕があり、安心感があるので、ちょっとしたネタでも名人に見えたりします。 (^^♪

要するに多くの自称マジシャンが、自分が幼児であることを自覚していなかったり、トライアスロンという競技の過酷さに気がついていないのです。
お友達の乳児のよた話を聞いて、なんとなく自分も出来そうだと思っていたりする(^_^;)
結局自分自身で考えることが重要なので、これ以上は対処法について具体的なことは書きませんが、人前で演じることのスキルアップを目指す方は、もう一度 (正確には百回でも千回でも) 優先順位を十分に考えた上で作戦を練リ直すだけで、相手の反応が良くなるはず。

う~ん、長くなっちゃいました。
いやね、ワークショップ自体は楽しかったんですよ。 この話は講習をやっていたり、他のマジシャンの演技を見たり、自分の映像を見ていても常に感じていることの一部をつづっただけのことです。

次回は少しトリックの方の話をしましょうかね。

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